令和4年 神奈川県秦野市 御門 八坂神社 例大祭神輿渡御
7月17日(日)に氏神様の御門 八坂神社の例大祭が執行されました。
3年ぶりに神輿渡御を行うこととしましたがコロナ禍であることを考慮し、大幅に縮小した形で実施いたしました。
本来ですと土日二日間で行うところを日曜の一日のみとし、氏子の新型コロナの感染を予防する為大勢で集まる行為は避けることとして、全体の会議や注連縄張り、神酒所の設置などは見送りました。
渡御自体は宮立ち・宮入は短い距離だけ肩での渡御とし、それ以外は台車に載せての渡御となります。経路も大幅に縮小しました。
直前の感染状況から役員は大変悩んだ末の決断でしたが、少しでも前進させたいとの思いで実現させました。
本年より神社総代の一員になり(青年会役員は兼務)、これまで以上に神社組織の事も考えないといけない立場になりましたが、何もしないよりかはやって良かったのではないかと思えた一日でした。
前日の土曜日は雨が強く準備が殆どできない状況で、当日の支度時間を早めて対応しました。
日曜の朝も雨が降ったり止んだりしてる中で、3年ぶりということもあり色々と思い出さないといけない状態で準備を進めて行きましたが、渡御前にはすっかり雨も止み夏空の暑い中で渡御を迎えることが出来ました。
台車での渡御は例年でも土曜の宵宮で行っているので特に大きな問題は無く、久々の神輿渡御で大きな声は控えながらも会員同士笑顔で過ごせました。
火渡りも神事であることを踏まえ、いつもよりかは形式的になりましたが行うことができ、無事に宮入できました。
直会も神事の一環ですので、簡易的に行い極々短時間で済ませました。
色々と異例尽くめの大祭でしたが、やって本当に良かったと皆が口々にしており、やはり団結できる祭りは必要不可欠なものだよねと改めて思えた一日でした。
担げる人間は氏子のみとしましたので、肩渡御中の撮影する余裕があまりなかったので枚数は少ないですが載せておきます。








今回祭礼と併せて新調した幟とポールのお披露目となりました。
前年の大祭(式典と神輿清掃のみ)の際に幟の柱をチェックしたところ、片方の柱が虫に食われて途中がボロボロになってたのが発覚しました。木の幟柱は大変重く、大祭の前週に氏子が集まって立てるのですが、コロナ禍前の状況では集まる人数も減少しかつ高齢化も進んでいる為、新たに木製の柱を新調しても将来を考えると立てるのが困難になってしまうだろうということで、ここで金属製のポールに交換しようという決断が下されました。
氏子が集まって柱を立てて幟を揚げるという一つの行事がいよいよ祭りが始まるという期待感を増す行為だったのですが、それが無くなってしまうことは大変寂しい思いですけど、時代の流れには逆らえないという現実でもあります。
幟自体のサイズは以前の物と異なりますが、書体などは全く同様に作られてます。
参考までにポールを立てている最中の模様を載せておきます。





3年ぶりに神輿渡御を行うこととしましたがコロナ禍であることを考慮し、大幅に縮小した形で実施いたしました。
本来ですと土日二日間で行うところを日曜の一日のみとし、氏子の新型コロナの感染を予防する為大勢で集まる行為は避けることとして、全体の会議や注連縄張り、神酒所の設置などは見送りました。
渡御自体は宮立ち・宮入は短い距離だけ肩での渡御とし、それ以外は台車に載せての渡御となります。経路も大幅に縮小しました。
直前の感染状況から役員は大変悩んだ末の決断でしたが、少しでも前進させたいとの思いで実現させました。
本年より神社総代の一員になり(青年会役員は兼務)、これまで以上に神社組織の事も考えないといけない立場になりましたが、何もしないよりかはやって良かったのではないかと思えた一日でした。
前日の土曜日は雨が強く準備が殆どできない状況で、当日の支度時間を早めて対応しました。
日曜の朝も雨が降ったり止んだりしてる中で、3年ぶりということもあり色々と思い出さないといけない状態で準備を進めて行きましたが、渡御前にはすっかり雨も止み夏空の暑い中で渡御を迎えることが出来ました。
台車での渡御は例年でも土曜の宵宮で行っているので特に大きな問題は無く、久々の神輿渡御で大きな声は控えながらも会員同士笑顔で過ごせました。
火渡りも神事であることを踏まえ、いつもよりかは形式的になりましたが行うことができ、無事に宮入できました。
直会も神事の一環ですので、簡易的に行い極々短時間で済ませました。
色々と異例尽くめの大祭でしたが、やって本当に良かったと皆が口々にしており、やはり団結できる祭りは必要不可欠なものだよねと改めて思えた一日でした。
担げる人間は氏子のみとしましたので、肩渡御中の撮影する余裕があまりなかったので枚数は少ないですが載せておきます。








今回祭礼と併せて新調した幟とポールのお披露目となりました。
前年の大祭(式典と神輿清掃のみ)の際に幟の柱をチェックしたところ、片方の柱が虫に食われて途中がボロボロになってたのが発覚しました。木の幟柱は大変重く、大祭の前週に氏子が集まって立てるのですが、コロナ禍前の状況では集まる人数も減少しかつ高齢化も進んでいる為、新たに木製の柱を新調しても将来を考えると立てるのが困難になってしまうだろうということで、ここで金属製のポールに交換しようという決断が下されました。
氏子が集まって柱を立てて幟を揚げるという一つの行事がいよいよ祭りが始まるという期待感を増す行為だったのですが、それが無くなってしまうことは大変寂しい思いですけど、時代の流れには逆らえないという現実でもあります。
幟自体のサイズは以前の物と異なりますが、書体などは全く同様に作られてます。
参考までにポールを立てている最中の模様を載せておきます。




