2015年10月の巻
神輿シーズンも最盛期を迎える10月の前半は県西部の見学に。
まず第1週の3日は小田原市成田の三島神社へ。

翌日の大祭を前に下見を兼ねて神社へ行ったところ、既に準備が整った神輿が安置されてました。
新調したばかりかと見間違うか位ピカピカでした。
三島神社を後にし、割と近い位置にあるので飯泉の八幡神社まで足を延ばしました。

こちらの神社は土日が祭礼とのことで、この日は子供神輿の準備をされてたようで、子供達が大勢いました。

境内には山車も置かれており、お囃子の演奏もされてました。
更に境内を見渡すと奥の方に神輿を発見。近づいてみます。

事前にネットで調べて神輿があることはわかっておりましたが、年月が経っておりましたので出されているか不安でしたが(既にその当時も担がれてはいないとのことでした)、神輿庫と思われる建屋の前に安置されてました。
よく見ると扉が開いたままでしたので、中を少し拝見。

運良く棟札を見ることが出来ました。
2枚重なっておりましたが、前の札には中央に「キリークの梵字 奉再建御輿壹宇村中」と見えます。
その右横には「天下泰平 嘉永」と読めます。
後の札には「奉再興御」「嘉永七」「甲寅星宿」「九月吉」などが読めますので、この神輿の再建が嘉永七年の九月であったことが伺えます(嘉永七年→1854年)
キリークの梵字は八幡神社の隣、飯泉観音(勝福寺)の本尊である十一面観音の種子です。
壹宇は一棟ってことですかね。
その他は縛ってる紐でよく見えませんでしたが、再興から161年経っていることになり、再興と書かれていることから、その前にも神輿はあったと言う事を物語ってます。
※神社庁のサイトにはこの八幡神社は「宗我播磨介広之(宗我都比古神社社主)に請願し、鎌倉八幡宮の御分霊を奉還した」と記載されており、宗我播磨介広之を検索しますと同じく神奈川県神社庁サイトでの小田原市中新田・神明神社の説明に出ており、この神社は寛永2年(1635年)に伊勢大神の御分霊を勘遷し奉り、と記載されておりますので、神社自体はおそらくその辺りの年代に建てられたものと推測されます。

見たところ老朽化が進んでおりますのでこのままでは担げないとは思いますが、このような神輿は貴重な文化財ですので、いつまでも保存されることを願っております。
そして翌日4日は成田の三島神社の宮立ちをまずは見学に。

小田原流で担がれるこの神輿を最初の神酒所まで見学して、ここに来る途中に気になった祭礼へ向かいました。
成田へ向かう途中、大井町の国道255号線沿いで祭礼の幟と半纏を着た人達を見掛け、神輿が出てるようだなと気になって戻ってみました。
神社の名前は幟でわかってますので(日枝神社)、ナビで調べて向かいます。
神社の近くには車を停めれそうになかったので、少し離れたところを探して何とか停めれて、神社へ向かおうとしてると太鼓の音が近づいて来るのがわかったので、そのまま待ってると祭列が向かって来ました。
近づいて来る祭列を撮影してると、先導する獅子舞に頭をかじって貰えました^^
ご利益ありますように!
あまり時間が無かったものですから、暫し撮影をして一旦所用を済ませに。
そして、やっぱり気になったので、午後からも捜し求めにw

神社に行って宮入の時間を聞き、時間に余裕があったので大体の神輿の場所を聞いて歩き出しました。
全く地理がわからなかったので、右往左往してしまいましたが、何とか見つけることが出来て、そのまま宮入まで見届けました。
事前情報は何も持ってなく、不意に出会うのもいいものです。
神輿振りや宮入の攻防も見れましたし、良い出会いでした。
大井町の日枝神社の宮入を見た後、すぐにまた成田へと向かいました。
日枝神社の宮入が少し遅れましたので、三島神社の宮入に間に合うかどうか心配でしたが(道路も込み合う時間に入ってくるので)、何とか宮入には間に合いました。
前日の下調べ時に見た社殿に貼ってあったコース図の中で、宮入前に「お浜巡り」という記載があって、とても興味があったのですが、残念ながらそれには間に合いませんでした。

やはり初めてのところは要領が掴めませんので、立位置に困りながらも、何とか撮影できました。
例年ですと10月第1週は伊勢原の道灌まつりと重なっているため、次にいつ見学できるかどうかわかりませんが、チャンスがあれば「お浜巡り」も見たいものです。
さて、少し長くなってしまったので、10月編は一区切りします。
まず第1週の3日は小田原市成田の三島神社へ。

翌日の大祭を前に下見を兼ねて神社へ行ったところ、既に準備が整った神輿が安置されてました。
新調したばかりかと見間違うか位ピカピカでした。
三島神社を後にし、割と近い位置にあるので飯泉の八幡神社まで足を延ばしました。

こちらの神社は土日が祭礼とのことで、この日は子供神輿の準備をされてたようで、子供達が大勢いました。

境内には山車も置かれており、お囃子の演奏もされてました。
更に境内を見渡すと奥の方に神輿を発見。近づいてみます。

事前にネットで調べて神輿があることはわかっておりましたが、年月が経っておりましたので出されているか不安でしたが(既にその当時も担がれてはいないとのことでした)、神輿庫と思われる建屋の前に安置されてました。
よく見ると扉が開いたままでしたので、中を少し拝見。

運良く棟札を見ることが出来ました。
2枚重なっておりましたが、前の札には中央に「キリークの梵字 奉再建御輿壹宇村中」と見えます。
その右横には「天下泰平 嘉永」と読めます。
後の札には「奉再興御」「嘉永七」「甲寅星宿」「九月吉」などが読めますので、この神輿の再建が嘉永七年の九月であったことが伺えます(嘉永七年→1854年)
キリークの梵字は八幡神社の隣、飯泉観音(勝福寺)の本尊である十一面観音の種子です。
壹宇は一棟ってことですかね。
その他は縛ってる紐でよく見えませんでしたが、再興から161年経っていることになり、再興と書かれていることから、その前にも神輿はあったと言う事を物語ってます。
※神社庁のサイトにはこの八幡神社は「宗我播磨介広之(宗我都比古神社社主)に請願し、鎌倉八幡宮の御分霊を奉還した」と記載されており、宗我播磨介広之を検索しますと同じく神奈川県神社庁サイトでの小田原市中新田・神明神社の説明に出ており、この神社は寛永2年(1635年)に伊勢大神の御分霊を勘遷し奉り、と記載されておりますので、神社自体はおそらくその辺りの年代に建てられたものと推測されます。

見たところ老朽化が進んでおりますのでこのままでは担げないとは思いますが、このような神輿は貴重な文化財ですので、いつまでも保存されることを願っております。
そして翌日4日は成田の三島神社の宮立ちをまずは見学に。

小田原流で担がれるこの神輿を最初の神酒所まで見学して、ここに来る途中に気になった祭礼へ向かいました。
成田へ向かう途中、大井町の国道255号線沿いで祭礼の幟と半纏を着た人達を見掛け、神輿が出てるようだなと気になって戻ってみました。
神社の名前は幟でわかってますので(日枝神社)、ナビで調べて向かいます。
神社の近くには車を停めれそうになかったので、少し離れたところを探して何とか停めれて、神社へ向かおうとしてると太鼓の音が近づいて来るのがわかったので、そのまま待ってると祭列が向かって来ました。
近づいて来る祭列を撮影してると、先導する獅子舞に頭をかじって貰えました^^
ご利益ありますように!
あまり時間が無かったものですから、暫し撮影をして一旦所用を済ませに。
そして、やっぱり気になったので、午後からも捜し求めにw

神社に行って宮入の時間を聞き、時間に余裕があったので大体の神輿の場所を聞いて歩き出しました。
全く地理がわからなかったので、右往左往してしまいましたが、何とか見つけることが出来て、そのまま宮入まで見届けました。
事前情報は何も持ってなく、不意に出会うのもいいものです。
神輿振りや宮入の攻防も見れましたし、良い出会いでした。
大井町の日枝神社の宮入を見た後、すぐにまた成田へと向かいました。
日枝神社の宮入が少し遅れましたので、三島神社の宮入に間に合うかどうか心配でしたが(道路も込み合う時間に入ってくるので)、何とか宮入には間に合いました。
前日の下調べ時に見た社殿に貼ってあったコース図の中で、宮入前に「お浜巡り」という記載があって、とても興味があったのですが、残念ながらそれには間に合いませんでした。

やはり初めてのところは要領が掴めませんので、立位置に困りながらも、何とか撮影できました。
例年ですと10月第1週は伊勢原の道灌まつりと重なっているため、次にいつ見学できるかどうかわかりませんが、チャンスがあれば「お浜巡り」も見たいものです。
さて、少し長くなってしまったので、10月編は一区切りします。