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鎌菱会サマーフェスティバル 本格神輿祭り

昨日は鎌倉にある三菱電機さんの夏祭り『鎌菱会サマーフェスティバル』で行われた本格神輿祭りにお邪魔してきました。この渡御に出輿するMEE(三菱電機エンジニアリング)さんに茅ヶ崎 神輿康さんの神輿を貸し出しており(MEEさんに今宿神輿保存會の会員がいらっしゃるのです)、そのお手伝いで初めて参加してきました。


2010年鎌菱会サマーフェスティバル 本格神輿祭り1


メインで担ぐのはもちろんMEEの社員さんで、普段担ぎ慣れていない神輿に四苦八苦しながらも、年に一度の渡御ということで、汗だくになりながら、歯を食いしばって、皆さん必死に担がれていました。そのかいあってか、鈴もよく鳴っており、意外とと言っては失礼かもしれませんが、なかなか様になってました。
神輿を担ぎ始めた頃の初々しさを思い出しながら、サポートさせてもらいました。


会社のお祭りで、このように盛大に連合渡御されているのは非常に珍しい事ですし、今となってはとても貴重なお祭りと言えるでしょう。
会社を取り巻く環境も日々変化していく中で、この祭りが末永く続くといいですね。


2010年鎌菱会サマーフェスティバル 本格神輿祭り2


おまけとして、こんな感じで窓越しに見る神輿って機会が無いので、思わず撮ってみましたw

ブームのラー油

最近、巷で大流行の食べるラー油ですが、某宅で大人気の桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」をいただいて以来、お気に入りになりました。
元々、辛い系の食べ物は苦手としてたんですが(むせちゃうんですよ・・・)、餃子の醤油にはラー油を入れてましたし、少々の辛みだったらOKなのです。
で、この食べるラー油をいただいて、「あぁ、これは人気が出るのもわかるね」って感じの味だったので、家でも購入しようと思ったのですが、やっぱりどこにも売って無いんですねぇ。
仕方無しに、他のを食べてみましたが、今はこれに落ち着いてます。


大人気!!具だくさん 食べるらー油4個セット


通販で買ったのですが、甘みがあって、具も多く入ってて、気に入ってます。
4個セットでしか売って無いのが難点ですが、家は近所の仲良しさんに配ったりしました。
ご飯にそのまま乗せてもいいですし、おかずのトッピングとしても活躍中です。
暑い夏をピリッとした辛さで乗り切って行きたいです^^

真逆の環境下での渡御

先週末は2箇所の神輿渡御に参加しました。
まずは、平塚市田村に鎮座する八坂神社の例大祭です。
この神社は相模川に掛る神川橋のたもとに位置し、昔から寒川に車で向かう際にこの神社の前は通っていたので、何となく親しみがある神社で、お誘いをいただきましたので、今回お邪魔させてもらいました。


2010年 神奈川県平塚市田村 八坂神社例大祭1


この日も真夏の炎天下での渡御となり、この天候は毎年恒例のようで、それを考慮してかお昼休憩も長く取られて、暑さ対策をされているようです。
前半のみでしたが楽しませていただきました。関係者の皆様、ありがとうございました。


2010年 神奈川県平塚市田村 八坂神社例大祭2


おまけです。嫁さんが撮った(優しい)仲間と内外担ぎしている図ですw


続いての輿場は、神輿仲間のシゲちゃんの万灯神輿が結婚式で担がれると言う事で、お手伝いに行ってきました。
シゲちゃん万灯神輿はここのところすっかりお祝い神輿となってます^^
今回は結婚ラッシュの打戻・神友會さんの会員さんの結婚式での祝賀渡御で、横浜にある「ロイヤルホールヨコハマ」での渡御でした。


2010年 神友會ユウタ君&アヤコさん 結婚祝賀神輿渡御


この日は披露宴会場の隣の大広間での渡御ということもあり、炎天下での渡御から一転して、エアコンの効いた涼しい環境での渡御でした。渡御の模様はレポでお楽しみください。


上の写真は、神輿とシャンデリアの珍しい図です^^


エアコン効いてても、担げばやっぱり汗ビッショリでしたw

今年も試練の(笑)三日間(その3)

秦野を後にし、途中食事を済ませ、何とか式典前に倉見神社へ到着。
食事を済ませたこともあり、既に眠気と戦いですw
今年は久々に鉄砲通りを担ぐと言う事で、ここ数年より早めのお発ちで、前日の18日にお発ちし、まずは寒川神社へ向かいます。
寒川神社では、いつも浜降祭に参加してくれる会員と景気付けの1杯。
学習の効果で今年は生では無く、缶ビールをいただきました。
酒パワーで何とか誤魔化しつつ、今年は神輿から遠く離れることも少なく、担ぎ手が多い倉見さんを横目に一之宮へ浮気しに。暫し担がせてもらった後、段々と担ぎ手が近寄らなくなる産業道路で暫し倉見さんに御奉仕!
それでも、足にきており、本年は母親の実家前を通らずに早めにバスへ(色んな皆さん、ごめんなさい)
バスの中で寝ようとしましたが、足のダルさが気になり、殆ど寝れずに浜見平団地へ。寒川さん達を待ってる休憩中、
足のマッサージをしてたので、少しは楽になり、久々に鉄砲通りを担いで満喫しました。


最近は浜では撮影に専念することが多く、今年も担がずに撮影。
今年は何と言っても富士山が綺麗に見えて、寝ぼけた頭でどう撮ろうか試行錯誤しながら浜をウロチョロ。
富士山は写せたものの、満足いくショットは無かったです・・・


そんな中、禊で寒川さんがいつもより奥へ(と思ったのですが、例年同様なんですかね?)入って行ったので、やっぱり禊はそうでなくっちゃと勝手なことを言いつつ、神輿が着座した後はいつもの場所で暫し睡眠。
途中、何度かブブゼラの音に妨害されましたが、ほんの少しは寝れました。気休め程度でしたが・・・


2010年 神奈川県高座郡寒川町・茅ヶ崎市 浜降祭1


2010年 神奈川県高座郡寒川町・茅ヶ崎市 浜降祭2


帰りはここ数年同様、134号線からトラックに乗せて、担ぎ手はバスで寒川町まで直行。
昔ながらの鉄砲通りに戻って行く渡御も復活して欲しい反面、この三日間の日程が今後も続くと思うと、現状の方が好都合かな。
でも、134号線からすぐにバス移動だと、他の神輿を見たり担いだりする時間がすごく限られてしまうんです。
乗り遅れる可能性も大で、現にそういう若者も居ましたしw
今回も担ぎたかった神輿がお発ちのタイミングで担げなかった点が残念です。


2010年 神奈川県高座郡寒川町・茅ヶ崎市 浜降祭3


寒川に着いてからの休憩中、少し寝たので睡眠面ではちょっとは楽になりました。
御旅所で菅谷さんと別れるこの場面、浜降祭ならではですごく好きです。
三基とも白捩りで鈴を鳴らしながら別れればもっと良いのに・・・と不謹慎な発言お許しをw


この後、寒川神社まではチョコチョコ担いでたのですが、倉見地区に戻る頃には足が悲鳴を上げてまして、大変申し訳なかったのですが、若者達に託し戦線離脱しました。八坂神社例大祭を終えた時点で、既に足の裏に水膨れができてしまってまして、限界でした。。。
そんな訳で、最後は戦線離脱しましたが、何とか三日間を乗り切りました。
たぶん、この三日間て来年以降もずっと続くんだろうなぁ・・・


最後に、南湖へ誘ってくれた優しい仲間を持って、私はとっても幸せですwww

今年も試練の(笑)三日間(その2)

続いて18日。八坂神社例大祭の大祭日。
この日も朝から快晴なり。
大祭日は1日中肩での渡御。昼過ぎに宮を出て、氏子地区を廻って行きます。
容赦無く照り付ける日差しと格闘しながら、大きく遅れることも無く渡御していきます。
こんな時、心強いのは各組や個人で設けていただきてる「神酒所」
冷たい飲み物はもちろん、多種多様な食べ物でもてなしていただき、本当にありがたく思います。


2010年 神奈川県秦野市 御門 八坂神社例大祭


途中、神社の近くから撮った1枚。今回のお気に入りです。
空の青さも良いですし、幟の角度も丁度文字が両方とも見え、良い感じの1枚になりました。


今年も曽屋一番組・乳牛二番組との三者合同渡御が行われ、早いもので今年で十回目を迎えました。
本年も事故、トラブル無く、無事に終えられることが出来ましたが、年々交通規制が厳しくなるのをヒシヒシと感じました。規制の時間に厳密になるのは時代の流れでしょうが、神様も大手を振って歩けなくなったかと、昔から見ている者としては少し寂しさを感じます。周辺の環境の変化も影響しているので、様々な主張を融合させながら、盛大さは守っていけると良いですね。


三者合同渡御を終え、氏子地区へ戻った後は、宮入渡御を残すだけです。
日中の暑さで疲労もかなり蓄積されていたのか、少し弓張提灯の準備に手間取りましたが、宮入まで盛大に渡御できましたこと、ご協力いただいた皆様には大変感謝いたします。ありがとうございました。


片づけはごめんなさいして(謝)、実家に戻りシャワーを浴びて着替えを済ませ、三日目に突入です。

今年も試練の(笑)三日間(その1)

今年も試練の三日間を何とか終えることができました。。。
まずは17日、梅雨明けが伝えられ、朝から晴天なり。
この日から二日間、秦野・御門地区に鎮座する八坂神社の例大祭。
7時から神輿の準備に着手し、終わる頃には既に汗だく・・・
雨の例大祭は嫌だけど、こんな快晴はいりませんと呟きつつ、一旦実家に戻り身支度をして、再び神社へ。
土曜日は宵宮と呼び、夕刻までは氏子と宮本青年会で渡御するので、人数不足故、台車渡御がメインとなります。
所々、役員さんの家とかで神輿を差し上げるので、その前後は担ぎますが、それ以外は台車で移動。
台車と言えども、人力なので、引っ張ったり・押したりと意外と体力を使います。
その上に、ジリジリと照りつける強力な日光が体力を奪っていきます。
途中、仲間が見に来てくれて、暫し暑さを忘れることができ、その後も太鼓連の山車に台車を引っ張ってもらい、台車に乗って廻るので、少しは楽チン!な時間を過ごせました。
夕刻からの渡御に備え、弓張提灯の飾り付けを行い、応援団体の協力を得て、肩での渡御となります。
丁度、実家のある組の神酒所へ向かうので、組の代表として父親と高張提灯持ちを担当。
勝手がわからない父をフォローしつつ、無事に神酒所へ。
そこの神酒所から実家の前を通るので、「華を担ぐよ!」と進んで華棒へ。
実家の前は土日の二日とも通るので、どっちか華を担ぐのは自分の恒例となってますw
そんなことをしつつ、渡御はどんどんと進んでいき、日も暮れ始めて良い感じの雰囲気に。


2010年 神奈川県秦野市 御門 八坂神社例大祭・宵宮


弓張提灯を飾り付けた神輿は、暗くなってからが見頃ですな^^
毎年見てても、この雰囲気だけはたまりません。
今年は担ぐよりも神輿の進行のフォローが多かった気がします。
担ぐのに夢中になるのもいいけど、そちらは若手に任せて、経験を積んでいくと目に付くとこが増えていくので、そんなところをフォローするのも大事な役割かなと、何てわかったような事を言ってしまう自分にまだまだもっと担がなきゃと喝を入れましょうかww


今年の宵宮の火渡りは火柱も高く、見応えあったような気がします。年々火柱が高くなっていくように感じるのは気のせいだと思いたいのですが。。。
弓張提灯が数本燃えてしまいましたが、何とか無事に大休止を迎え、大まかな片づけを終えて、夕方から合流した嫁さんと、とある御宅へお邪魔させてもらい、高校の同級生が居る某青年会の皆さんと親睦を深めることができて、とても嬉しい一時でした。


暫しお邪魔した後は、いつも大変お世話になっている「ゴンさん」が祭典委員長を務めているということもあり、乳牛二番組の御旅所、公会堂へ顔を出しに行きました。


2010年 神奈川県秦野市 曽屋神社例大祭 乳牛二番組


「ゴンさん」にお疲れのところ相手をしていただき、いつも通りに楽しませていただきました。
ゴンさん、ありがとうございました。


その後、二人で軽く直会をして、まずは1日目終了です。

お天王さん

先日の日曜日は、午前中は地元の祭礼準備を行ってきました。
青年会は、神輿を神輿殿から出し、清掃して拝殿に収めたり、木札の製作、渡御経路の樹木剪定等を行いました。
予報だと丁度梅雨明けに当たりそうで、今年も暑い祭礼になりそうです。
夕刻からは、日頃大変お世話になっている桃さん工房の氏神様、平塚市四之宮の前鳥神社の境内社である八坂神社の祭礼にお邪魔してきました。
ここも通称「お天王さん」と呼ばれ、この時期「お天王さん」の祭礼が各地で執り行われています。


2010年 神奈川県平塚市四之宮 八坂神社例大祭


この祭礼は、近隣の他の祭礼と重なっていることから友好団体も少なく、氏子の祭り!って感じが凄く出ていて、本来の祭礼の姿がよく出ているなと思わせる祭礼です。夕刻からの渡御ですので、時間も短いため、担ぎたい氏子が集中するという面もあるようですが、神社祭礼とは氏子主体で担ぐってのが本来の姿ですよね。
氏子だけでは担ぎ手の数が足りないというのは、どこも抱えている問題ですし、特に長丁場ですと、なかなか氏子だけで担ぐとはいかないかもしれませんけど、それでも、いわゆる「村祭り」的な雰囲気で、多少担ぎ方がぎこちなくても氏子が楽しめる祭礼がもっと増えることを願っております。

八坂神社 四方山話(5)

最終回は火渡り神事に関してです。


◎火祭りの由来:素盞嗚尊が火の神を打ち負かしたという神話に由来?
 宮入りにあたり、燃える火の中を神輿が通る火渡りが行われます。由来は定かではありませんが、おそらく素盞嗚尊が亡くなった母親である伊邪那美命(いざなみのみこと)を「黄泉(よみ)の国」に訪ねる途中、火の国で暴れる火の神を打ち負かしたという神話によるものと考えられます。疫病退散を願ってという説もありますが、いずれにせよ由来は不明です。なお、祭神を同じくする下大槻の健速神社でも同様に火をテーマとした宮入りが行われています。

八坂神社 四方山話(4)

四回目は宮本、一番組、二番組の呼び方に関してです。


 明治2年(1869年)の「曽屋村神社図」によれば、曽屋村には「井之明神(曽屋)」・「八幡大神(乳牛)」・「加羅古神社(乳牛)」・「八坂大神(御門)」・「加茂大神(御門)(同年山谷に譲社)」・「熊野大神(才ケ分)」の六つの神社がありました。その後、明治政府の一村一神社の方針(後に撤回)に基づき、明治6年(1873年)に曽屋村内の神社を合祀し、井之明神のある地に曽屋村の神社として新たに曽屋神社を創建しました。
 当時、神輿を保有していたのは、八坂神社、井之明神社、加羅古神社でしたが、合祀にあたり担ぎ手を区別するため、宮本(御門)、一番組(曽屋)、二番組(乳牛)とし、大祭の日を曽屋村の鎮守であった八坂神社(お天王さん)の祭礼(毎年7/6~14)に合わせるとともに、大祭後の反省会も「天王講」として、お天王さんの神事を継承しています。

八坂神社 四方山話(3)

三回目は青年会の名前にもなっている「宮本」に関してです。


◎「宮本」の由来:大日孁尊(おおひるめのみこと)を勧進したことに由来
 八坂神社の神輿の弓張提灯には「宮本」と書かれていますが、この由来は、以前から祀られている祭神である牛頭天王のほか、元文6年=寛保元年(1741年)に神衹管領である「吉田(ト部)兼雄」への奉願御幣勧進がかない、天照大御神(別名:大日孁尊(おおひるめのみこと))の御神体がお天王さんに鎮座したことによるもので、これによりお天王さんをお参りすることは、お伊勢参りと同じ意味を持つことになりました。


 すなわち、伊勢神宮の祭神であり皇祖神(皇室の祖)である天照大御神(あまてらすおおみかみ)は最高神として、お宮(神社)の本である「宮本」といわれていることから、御門のお天王さんが「宮本」と称される所以です。
 この「宮本」に関しては、いつ頃から用いられていたのか分かりませんが、曽屋村で造り酒屋を営んでいた「近江屋」(矢野)文右衛門が享和元年(1801年)に御神燈を寄進した際の目録に「宮本御若衆」と記載されているのが、資料として最も古いものです。

八坂神社 四方山話(2)

今回は八坂神社の主祭神及び創建に関してです。


◎主祭神(主に祀っている神):素盞嗚尊=須佐之男命(すさのおのみこと)
 八坂神社の主祭神は、伊勢神宮の祭神である天照大御神の弟で、大国主命の親でもある、八岐大蛇(やまたのおろち)退治で有名な素盞嗚尊=須佐之男命(すさのおのみこと)です。
 もっとも、明治2年に八坂神社と改称するまでは「牛頭天王」(ごずてんのう)として祀られていました。牛頭天王は朝鮮に牛頭山という山があり、それにちなんだ疫病除けの神であり、インド祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神と同一視されています。さらに素盞嗚尊が朝鮮半島に渡り、牛頭を意味する地に居たとする神話もあり、仏教等の伝来とともに日本の神道との神仏習合により、牛頭天王と素盞嗚尊は同一神とされています。


◎創建に関して:創建の時期は不明
 創建の時期は不明です。現在残っている資料は1600年代(江戸時代)以降のものですが、全国のどんな田舎に行っても集落がある所には必ず神社が祀られていることを思うと、それ以前から鎮座していたと考えるのが自然です。
 秦野には京都の地名が苗字となっている家が多く存在しますが、これは平安時代(794~1192年)の初期に律令制度のもと、国司が山城国(京都)から相模国へ赴任するにあたり下司として下向してきた人々の末裔と思われます。このことから推察すると、すでにそのころにはこの地域には集落が形成され神社が祀られていたと考えるのが自然のような気がします。従って、創建から少なくとも千年は経っているのではないかと推測されます。

八坂神社 四方山話(1)

平成22年度の八坂神社例大祭まであと9日となりました。
先日の祭礼の会合で、宮本青年会・相談役のEさんからご自身でまとめられた八坂神社に関する資料をいただきました。
その中から抜粋し、数回に分けて、ここで紹介させていただきます(後日、サイトの方にはまとめてアップする予定)


◎まずは社名の由来から:八坂神社という社名は明治維新以降のもの


 八坂神社は、江戸時代、すなわち明治維新までは「牛頭天王宮」(ごずてんのうぐう)[通称は全国的に「お天王さん」(おてんのうさん)]と称していましたが、明治2年(1869年)に神仏分離策をとった明治政府が仏教等に由来する名称を禁じたことから、祭神を同じくする全国の「牛頭天王宮」「祇園社」「天王社」等は社名変更を迫られ、京都八坂郷にある「祇園社」が「八坂神社」(大祭は有名な「祇園祭」)に改称した例にならい、全国の多くの「牛頭天王宮」等が「八坂神社」と改称しました。


 例に漏れず御門のお天王さんも公式に「八坂神社」と改称して役所へその届出を行いましたが、明治維新という時節柄「いよいよ栄える=いやさか」の思いをこめて、その後の合祀期間中を含め漢字名を「弥栄(やさか)神社」として使用したりもしていました。


 ただし、ほんの2~30年くらい前までは、昔からの「お天王さん」や、単に「お宮」が地元住人の一般的な呼び名でした。八坂神社(お天王さん)の坂を下った葛葉川にかかる橋は「天王下橋」(てんのうしたばし)といい、かつての名残を伝えています。


 なお、江ノ島の八坂神社は大祭を「天王祭」と呼んでその名を残しています。また、下大槻の健速(たけはや)神社、真田の真田神社なども、かつてはお天王さんでした。



Eさんの御先祖さんは代々、八坂神社の神職をされてた御宅で、貴重な資料が残されており、その資料に書かれている内容からまとめられていますので、推察の断りが無い部分は事実に基づいております。

暑かった日曜日

先日の日曜日は梅雨の合間にも係わらず、物凄く暑かったですね。
その日は高座郡寒川町の岡田に鎮座する菅谷神社の神幸祭に初めてお発ちからお邪魔してきました。
若干遅れて着いたので、丁度神輿が境内から出てくるところに出くわし、車で待ってたのですが、そのまま神輿が境内に入ってしまい、???と思いながら、車を駐車し、神社へ向かいました。
どうやら、神輿にアクシデントが発生したようで、境内を見ると総掛りで直してました。
30分程度で直り、再度お発ちして、氏子町内へ向かいました。
時間が経つにつれ、どんどん暑くなっていき、本当に梅雨なのか?と思わせる日でした。


2010年 神奈川県高座郡寒川町岡田 菅谷神社神幸祭


汗だくになりながらも、歴史ある天保神輿を十分堪能させていただきました。
関係者の皆様、ありがとうございました。
私は地元祭礼の会合があったので、途中でお暇させていただきましたが、相方さんの撮影で宮入までレポができました。
この祭礼が来ると、「浜降祭」まであと僅かという気分になります。
今年の浜降祭もこの日のように暑くなるのでしょうか。。。

近づいてきた例大祭

今年も氏神様の例大祭が近づいて来ました。
青年会の会合も終わり、来週の準備を経て、再来週はいよいよ例大祭です。


平成二十二年八坂神社例大祭用ポスター


今年は町内に貼るポスターの原版を任され、3枚作った内の1枚が上のものです。
早くも例大祭モード突入中です!!

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まいてぃ354

Author:まいてぃ354
神輿サイト『まいてぃ’s どっこいHP』管理人のまいてぃです。
相模の県央から西側、湘南等を中心に神輿を担いだり撮影したりしております。

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